2023年9月

てんやわんやしながらもなんとか3年で学生生活に終止符を打ち,これで博士を名乗れるようになった.学位を取って思うことは,「足の裏の米粒」*1と言われている通り,取ってひとまず満足したものの,これからの仕事・生活をどうしたものかなという不安がある.もちろんこの満足を求めて学生をやっていたのだから,それはそれでいい.

将来の不安はさておき,この3年の間は「博士」とは何ぞやと思わされることが多々あった.博士号を「資格」と例える人はよくおり,再入学するまでは私もそう考えていた.ただ,取っても食えないわけで「資格」とは少しまた違うものなんだろう.

応用物理の特別寄稿にこんな文章があった.

私は博士号はパスポートのようなものだと思っている.博士号はどの国に(分野に)行って新しい景色を見たかを示す目印,博士論文はさしずめ旅の絵日記だろう.第三者機関による研究能力の証明書や研究の許可書ではない.多くの人のパスポートには物理や化学あるいは公共政策などのスタンプが 1 つだけ押してある.

2つの博士号から見る景色

この文章を読んで,なるほどと思った.正確に言うと,少ししっくり来ていない部分もあるが,「資格」よりは「パスポート」という表現のほうがあっているように思った.

私の研究室はお世辞にもいい環境とは呼べるものではなかった.高校で習うような計算もできず,間違った考察・議論を博士論文に書いた人.後輩が既に提出した(あるいは提出予定の)卒論や修論のデータをつぎはぎして博士論文を書いた人.重箱の隅をつつくようなテーマで博士論文を書いた人*2.まともに学生指導もできずに,5年くらいやっているテーマの成果が論文1報の人.そんな人たちが博士号を取っていく(持っている)のだから,これは「資格」ではなく「パスポート」で,場合によっては「偽造パスポート」ですらある.偽造を見抜けなかった結果,そのパスポートに「(○○学)」というスタンプが押されている.私自身もこの環境を作っていた一因であって,私は何も悪くないというつもりもない.ただ,どうにもならなかった.そして,3年間真剣に研究したつもりだけれど,私の持っている博士号というパスポートが本物なのかは私にもわからない.とりあえずは「(○○学)」のスタンプが押されている.このパスポートをどうやって使うか,どこに行くかが大事なんだろうと思う.

そう思いながらJREC-INを眺めたり,次のテーマをどうするかぼんやり考えたりしている.

 

おわり(3年間の総括は時間がかかりそうなので別に書く予定)

*1:取らないと気持ちが悪いが,取っても食えない.

*2:重要だけど誰もやっていない研究ではなく,ただ誰もやっていない研究をやったということ.