2024年2月

粛々と論文の準備中。

解析結果を整えたのが2月の頭くらいで、文献のサーベイと作図で1カ月くらいが経ってしまった。どちらも完了しているわけではないので作業状況は捗々しくない。弊所で読めるジャーナルに偏りがあって、サーベイが捗らないが原因の一つになっている(言い訳)。特に、環境化学(科学)のジャーナルはほとんど読めない。そういう研究をしている研究室がほとんどないので仕方がないのだけれど、論文を読むということに関して言えば、大学は楽園だったんだなと思う。そんなわけで、3月に論文ダウンロードのために仙台に行く予定(他の仕事ももちろんするけど)。

おわり

2024年1月

代わり映えすることもないけれど新年。急遽仙台に行って測定をしてきたり、面接を受けたり。

―研究。年末はだらだらして過ごしたので、新年はゆるゆると研究をスタートするために二日からラボへ。箱根駅伝の走者が15号線を走り抜けていくのをぼんやりと眺めてからラボに着くと、ボスの居室にはすでに灯りがついていた。この場所で云十年チームリーダーをやるということはそういうことなんだろうな、と思ったりした。ある分野のトップランナーとして存在しようとするためには努力をするほかないんだろう。家に居場所のない哀れなおじさんでもあるのかもしれないけれど。

今の研究所に移ってボスの背中を見られたことは、私にとってよい経験になったと思う。ただ、ラボの実情を見てみると、ボスの専門のNMR以外の分析機器や解析のことはわりと杜撰な取り扱いをしていて、正直がっかりした部分もある。これはこれで、なんでもできるスーパーマンはいないんだということも大きな気づきだったりする。私は自分以外の人のことをスーパーマンだと思ってしまいがちなので、国内ではトップであろう研究所の人間でもこんなもんなんだと知れたことにも意味があるように思う。

1月の中旬は仙台でICP-MSでの測定をしてきた。作業スケジュールをぎちぎちに詰め込んで作業した弊害で、測定が失敗しているサンプルに気づいたときには帰りの新幹線の中だった。時すでに遅し。重要なサンプルはほぼ問題なかったので、解析に回してみて再測定したほうがよさそうであれば、2月にでももう一度測定しに行く予定。東京仙台は近いのがありがたい。仙台から帰ってきてからは、いつもこねくり回しているデータを触るのに飽きてしまったこともあって、修士の頃に取った土壌のデータを触っていた。修士の学生だった当時は土壌の知識もデータ解析のスキル(=観察の技術)もなかったがために無視していた部分に、極めて重要なことをあったということに6年越しに気が付いた。知識と観察、それを紐づける教養(?)の3つが研究では重要なんだなあと思った。これもまた、とてもいい気づきだった。

―体調。去年のこの時期くらいから活動量計をつけていて、体調の確認に活用してる。二日酔いでだるいなというときは数値も悪いし、早寝をして十分に睡眠をとった後だと数値もよいので、当たらずとも遠からずくらいの気持ちで参考にしている。

今月はコーヒーの飲みすぎなのか、普段の食事が良くなかったせいなのか、1週間くらいぐったりしていた。活動量計の数値も悪く、胃腸の不調っぽいと気づいてから白湯を飲んで過ごすようにしたら復活した。食事にも気を使わないといけない年齢になってしまったらしい。胃腸の不調を直してから仙台に行っている間は、活動量計の数値もいい感じだったのだけれど、帰ってきてからは数値上はまた疲労がたまってきているらしい。しかたがないので、部屋をちゃんと暖かくしてしっかり寝るようにした。体力的には下るだけの人生を、いかにゆっくり下るかというステージにいつの間にか来てしまった。

―就活。前の月記にも書いていたけれど、修了後から国研か企業でいいところがないかなーという感じで次の職場を探していた。今年度は就活の情報収集をするだけのつもりで動いていたのだけれど、菌叢解析関係のことをやっている小さい会社で1社だけ興味を持ったところがあって去年の11月くらいから面接を受けていた。

大きい会社でも菌叢解析の研究で募集があったので受けようかと思ったのだけれど、結局のところ応募はしなかった。前職はまあまあの規模の会社だったけれど、残業するなと言われたり、9時でフロアが強制消灯されたり、実験するにもいろんな根回しが必要だったりで、研究・開発環境としてはうんざりしていたのを思い出すと、またそうなるんだろうなという予感がよぎった。しょうがないことだけれど、組織の規模が大きくなればなるほどガバナンスが重視されて、組織のしなやかさが失われてしまう。

ということで、来年度からは会社で働く予定。3月中になんとか論文投稿できるようにがんばる。

 

おわり

2023年12月

Miseqは終わり。今までシークエンスは外注分析頼りにしていて、実はQiime2の使い方をきちんと理解していなかったので、来月はそのあたりを理解していく月になりそう。研究計画を立てたときはICP-OESもやる予定にしていたのだけど、ここまでのデータで何とか論文にまとめていく予定。なんというか、自分の今のテーマはもういいかなという気持ちになってしまった。

常々ぼやいていたと思うけれど、環境データでマルチオミクス解析をやるのは基本的に一人でやる研究テーマではないと思う。①膨大なデータを取って、②探索的なデータ解析をして仮説を立てて、そこから③再検証の介入実験をやるというプロセスは、さすがに一人では無理。③の部分は当初からやらない予定だったけれど、①と②だけでも相当にしんどい。ということで、今年度は今あるデータをまとめて1報をサブミットできれば上出来という気持ちでいる。とはいえ、仮説の提案で終わるのもそれなりに不誠実な感じがしていて、ちょっともやもやした気持ちは残る。

最近は、自分には人並の人生を送るのは無理だという気持ちに整理がついてきたので、どこかのタイミングで1年くらい研究留学してみたいなという気持ちになっている。今行って何とかなる英語力ではないので、準備が必要だけれど。これも人生の禊活動(みそかつ)の一つになると思われる*1

自分の不甲斐なさを感じることを減らしていきたい。かつて、高校3年生のときの担任には「完璧主義はよくない」と言われ、前職の上司には「生き急いでいる」と言われ、ことあるごとにそういう言葉が頭をよぎることがあった。たぶん、世間一般的にはいい生き方ではないんだろうと思う。考え方とか表面的には変えられるものとかは変えていくし、変えてきたつもりだけれど、そのあたりは変わらなかったし、変えられなかったような気がする。とはいえ、ちょっとずつ積み上げていくことで、そういう部分が変わっていく感じもしている。結局どっちなのかわからない。変わろうが変わらなかろうが、自分が今やるべきと思うことをやるしかない。学位取得後5年以内なら海外特別研究員もあるので、そのあたりを目途にやっていこうと思う。もちろん、どこかのタイミングで気が変わることもあるかとも思うので、ほどほどに頑張っていく。自分の気持ちを分かった気にならないのが大事。

年末には一社だけ面接を受けてきた。受かるかはさておき、受けた後にこれでいいのか?という不安もよぎったりした。これも完璧主義の悪いところなんだろう。ここにはないどこかの楽園を探すようなことはすべきではない。どうせ無いんだから。その時々の最善っぽい手を打っていく。今のままでも研究にフルコミットするのは既定路線なので、それが仕事に置き換わるだけのことだろう。お給料さえ下がらなければそれでいいと思うことにする。

来年は、研究を頑張る、英語を頑張る、統計検定とかバイオインフォ検定を受ける、あたりを目標に生きていく予定。いよいよもって草むらをかき分けていく人生になっていくんだろうなという感じ。全部うまくいくことはないことは理解している。来年のテーマは「ちょっと頑張る」。

 

おわり

*1:足の裏の米粒を取る活動

2023年11月

低進捗な日々。Miseqにも取り掛かれず、元素分析も終わっていない。というか、元素分析に関しては、装置の修理が必要という状況。前のラボと何も変わってないじゃん、と心の奥底で思う。一応、ボスが装置の修理はしていいよと言ってくれてるのが、唯一の救い。当たり前ではあるけど、前のラボはそれすらすんなり進まなかった。お金がなかったので。12月中にMiseqだけでもなんとかする予定。

月末は聴講だけではあったけど、微生物生態学会に行ったりしてきた。面白い研究もあった一方で、「類題を解いている」という感想を抱いた研究もちらほらあった。

面白いと思う研究は、新しい視点で世界を捉えようとする研究や実用を意識した研究で、改めて自分自身もこういう研究ができるようにしていきたいなあと思った。一番気に入ったのは、微生物生態系の挙動を理解するためにシミュレーションや流体デバイスを使って再現する研究で、これには本当に感動した。研究されていた方はもともと工学系だそうで、元工学部の人間としてはこの分野で工学の視点からできる研究があるんだ気づかされたし、別の領域の技術で殴りこんでくる研究はシンプルに面白い。

一方で、微生物学にありがちな「今まで未培養でした、単離しました、特徴づけしました」という研究は、やっぱり面白いとは思えなかった。もちろん、単離培養自体は簡単なものではないし、博物学的な研究に価値がないとも思わないのだけれど、「それで?」と思ってしまう自分がいる。生態学会では、もっとマクロな視点から現象を捉えていたと記憶しているので、微生物学特有の「病気」なのかもしれない。世界の理を知りたいだとか、何かの役に立つという視点が抜け落ちていて、ただやりましたという研究。次世代シーケンサーも、ロングリードシークエンスも、シングルセルゲノム解析も、結局のところ作った人が人がすごいのであって、ごく少数の優れた研究を除けば「類題を解いている」研究なんじゃないかなあと思わずにはいられない。時間の都合で、大きな目的の部分を話せないだけなのかもしれないけれど、実際のところどうなんだろうか。

それはそうと、絶賛キャリアパス迷走中。アカデミアに残るのか、海外での研究経験もないのにアカデミアに残ってやっていけるのか、じゃあ今から海外に行くのか、行けるのか、行ってダメだったらどうするのか、でも今のラボにいるとボスの思惑に振り回されるだけなのではないか、じゃあ別の研究機関で独立した研究をできるのか、そもそも任期付きの仕事を渡り歩いていくプレッシャーに耐えられるのか。こんな感じの不安が入り混じりすぎて、情報収集レベルの企業就活をぼちぼち始めている。

海外留学に関しては、ラボに客員で来ている准教授の先生がアメリカの大学で2年間ポスドクをやっていたということで、飲み会で対面になったときに話を聞いたりした。その先生の主張は、「言語の壁が大きすぎるから海外(欧米)は1年経験すれば十分」というもので、わりと斜に構えた主張だった。海外に1年もいれば欧米のスタイル(暦的な仕事の動き)がわかるからそれで十分ということらしい。そもそも、「行ったからといって国内で活躍できるわけではないし、行っていない人でも国内で活躍しているからあとは自分で判断したら」という感じだった。これは偏見かもしれないけれど、海外での研究経験のあるキラキラ研究者の人たちはすぐ海外に行こう!みたいなことを言う印象があるので、そういう考えの人もいるだなあとちょっと意外に思った。もちろん、この主張は私が頑張らなくてもいいという裏付けにはもちろんならないけれど。

一応、アカデミアでもう少し頑張ることも全く考えていないわけでもなくて、9月にはつくばの某研を見学していた。ただ、その時は学会の時期だったせいか活気もなくていまいちかもなあと思ってしまった。それに、行けたとしても今の延長線上の研究をし続けるビジョンしか見えなくて、苦しいことになりそうな予感もあった。人が少なくて大変だという研究統括の方が話しもあったりで、見学がいろいろとネガティブに作用した部分が結構あった気がする。

企業のほうは一社だけ小さい会社だけれど面白そうだなあと思っているところがあって、それも無理を言って見学させてもらう予定にしている。開発寄りの研究業務なんだろうなあと思いながらカジュアル面談を受けたのだけれど、予想に反して研究(論文執筆、学会発表)をしてほしいという話だったので、わりと心が傾いている。それに、自社のウェットラボも持っていて、基本はドライ解析をしてほしいけど必要あれば自由にそっちにも行き来していいということも魅力に感じた。ドライとウェットは表裏一体だと思っているので、必要があればウェットに立ち返れる環境は理想だと思っている。かっこつけたけれど、結局のところは研究がダメだったときにほかの仕事に移れる選択肢がある場所(企業)のほうが心理的に安心するのかもしれない。自分のことを自分が一番信用していないので。

こういうのは縁と運だと思うので、見学してみてネガティブな印象がなければそこに応募してしまおうかなと、少し思っている。とはいえ、明日の自分の気持ちがどうなっているかすら、自分にはわからない。

 

おわり

博士課程3年間の総括

9月くらいに個人的な振り返りとしてまとめようしていた文章が、やっと書きあがった。

2017年当時、修士で学生生活を終えて会社に入った時点で「研究を続ければよかったな」という気持ちがあった*1。もともと「こうなりたい/こうありたい」のモチベーションではなかったので、そのモチベーションのあり方を私自身当時から危惧していたと記憶している.ただ同時に,やってみて初めて見える景色もあると思っていて、その答えをそこに期待していた部分もあった。

進学するかは相当悩んだけれど、結果的に2020年10月に3年半勤めた会社を辞めて博士課程に進学し、2023年9月に無事修了することができた。やってみてどうだったか、どう思ったかを、改めて考えを整理するためにまとめておきたいと思う。基本的にはn=1の感想かつ自分用の振り返りなので、この記録を読む方は「まあそういうやつもいるか」くらいの気持ちで読んでいただきたい。

 

【博士に進学して良かったこと】

① 研究の営みが好きだということを再確認できた

3年間の研究の中では、うまくいかないことのほうが多かった。大した業績も残せていない。でも、研究の営み自体は間違いなく好きだと言える。調べて、検証して、整理して、考察して、議論する。この営みが好きだということは、この先もずっと変わらないと思っている。

ただし、進学する前から危惧していたことだけれども、研究で世界で一番になりたいとか、生命の神秘を解き明かしたい、みたいものが自分を駆動していないということもこの3年間で再確認できた。どちらかというと、より基礎的・学術的なアプローチから課題解決を試みることが好きだということが分かった。この課題にもこだわりがなくて、課題が解決されて誰かがハッピーになるようなことであれば、それでいい。この確信もまた、博士課程の生活の中で所属以外の研究者の方たちと話すことがなければ得られなかったと思うので、それはそれで進学してよかったことの一つだと思う。

 

② 新しく始めることに腰を据えてひたすら取り組む経験ができた

これ自体は会社でも経験できることかもしれない。特に、部署異動をさせずに一つのテーマを研究・開発させてくれる会社では問題ないとは思う。ただ、私の場合はできなかった。会社員の時には、開発を進める中でCFDとかできたらできたらいいんだろうなと思って、本を買って PCでぽちぽち解析をしようとしていた時期もあった。とはいえ正直、業務以外の時間でゼロから身につけるのは無理だった。そして、部署も変わったのでやる意義を見失い、買った本は本棚の肥やしになってしまった。

博士から取り組んだ研究が論文として書きあがったのは2年半経ってからのことで、会社ならこんな悠長なことはできないと思う*2。研究期間のうちの1年はRのコーディングの勉強をしているような状態が続いていた*3ので、新しくゼロから何かを覚えることは簡単にできるものではないなと思う。コーディングに加えて、修士の時は全く扱ったことがなかったメタボロームデータやゲノムデータ(私の場合、メタ16Sだけど)を扱うようにもなったので、それもゼロベースからの勉強尽くしだった。

とはいえ、こんな感じでゼロの状態から広く浅く手を広げて研究を始めても、3年ないし2年やり続ければ一つの論文にまとめられる程度のレベルには到達した。このことは、「やってみて、続けてみて、頑張っていけばできるだろう」と、これから出会うことに対しても自信を持ってそう思える自分の根拠あるいは納得につながったと思う。

 

③ 博士・アカデミアに固執しなくなった(なってきた)

博士号には更新制度もなく一度取ればそれっきりなので、固執しようがないのは当たり前のことではある。ただ、「博士号は足の裏の米粒だ」と言われるように、取っても食えないけれど取らないと気持ち悪いという表現は、改めてその通りだなと強く実感した。博士号を取ること自体はたぶん万人に対しておすすめできるものではない。私の場合は、博士号を取ることが「自分の中に何か引っかかっていたものを取り去る禊のような行為」で、取らない限りはどうにもならないことだったから取ったということでしかない。

アカデミアに固執しなくなった(なってきた)のは、前述の解析スキルを身につけられた部分が大きい。このことは、私の中での研究という概念を変えるきっかけにもなったと思う。実験系の人たちは、ややもするとスキルや研究テーマ自体が実験装置と一蓮托生になりがちで、研究装置のある場所にいろいろなものが縛られてしまう。例えば、私の研究では700MHzクラスのNMRを使ったけれど、このクラスであれば装置だけで1億弱はするし、液体ヘリウムや窒素の維持管理や試薬だけでも馬鹿にならない費用がかかる。低磁場のNMRでも、NMRが高価で場所を取ることを考えると、NMRを持っている大学や企業は限られるだろうし、必然的に研究する場所も限られる。加えて、いつでも自由に実験できるということにもならないと想像する。NMRを使う研究をあきらめてしまえば、NMRそのものに関するスキル自体は無駄になるかもしれない。

一方で、データ解析であれば必要なのはPCだけであって、高額な研究装置に縛られることはない*4。このデータ解析の中だけでも、データ解析でのアイディアを試して試行錯誤するという研究をサイクルを回すことができるし、私の中では実験系(ウェット)のそれと可換な存在だということも分かった。

私が博士の研究で書いた論文では、データから仮説を提案するまでを一つのストーリーとしてまとめた。ウェットの部分もあるけど、この論文でドライの解析から重要な発見(仮説)を引き出せるということを実感できたのは、大きな経験になったと思う。その結果として、あまりウェットの実験環境に固執しなくても、楽しく研究できる環境があるんじゃないかなと思うに至った。もちろん、できるならデータ解析の結果を検証するためにウェットでの検証環境があったほうが良い。ただ、全てが揃っている環境はなかなかない。

ここまで、ウェットのスキルをネガティブなものとして主張してきたけれど、最近では博士のトランスファラブルスキルの活用という話もよく言われる。実験装置がなくても、装置の知識やスキル習得の過程で培った経験を他に生かせることは大いにあり得ることでもある。結局のところ、物は言いようだし見方次第なので、私自身がデータ解析のスキルを身に着けていなくても、こんな感じの主張をしていたかもしれない。

 

【博士に進学して悪かったこと】

① 経済的にはちょっと苦しい

私が編入学した10月は、引っ越しに、入学金、学費の支払いもあったので思いの外貯金がどんどんなくなっていくことにヒヤヒヤしていた記憶がある。とはいえ、大学の博士学生支援(独自の奨学金や学費免除)があったり、編入学した翌年の10月からはJSTの博士学生の支援の恩恵に預かることもできたりして、奨学金を借りたりバイトをしたりすることはなかった。もちろん、会社員の時のように貯蓄ができるわけはなく、収支はトントンといった感じだった。仙台でそうだったのだから、都市部であればもっと生活は厳しくなると思われる。

既にJSTの次世代研究者挑戦的研究プログラムも始まって2年が経過しているので、最新の情報は提供できないけれど、この支援を確実に受けたいのであれば進学先は旧帝大クラスに限られてくると思う。私の大学の場合はかなりの採用枠があったようで、学振に落ちた申請書を少し直して出せばだいたい採用されるような感じだったと聞いている。実際に私がそうだったし、所属していた研究室の留学生も提出した2人がもれなく採用された。たしか二人とも業績はなかったと思う。

もともとは、奨学金を借りることになってもD進する予定で、こういう支援のことは気にしていなかったのだけれど、タイミングよく博士学生の支援の恩恵を受けれられたのはかなり運が良かったと思う。とはいえ、お金がないと行動と思考に枷がかかってしまうこともあるので、そういう点で不自由なことは多かった。特に、最後の1年の精神的に負荷がかかっている時期は、自炊をする時間と気持ちの余裕もなかったので学食を使い倒していて、家計は火の車だった。

学問をするにはお金がかかるなあと思う、生活でも、研究自体でも。

 

② 結局はラボにいる人間次第の部分が大きすぎる

これに関しては愚痴っぽくならないように気をつけて書きたいとは思うのだけれど、たぶん愚痴に見えると思う。加えて、自分のことを棚に上げて書いている部分とあると思うので、そういう部分は読み流してもらいたい。

私の場合は、修士の時の研究室に出戻りする形で進学した。修士とは別の研究室を選んでブラック研究室を引き、研究室の勝手もわからない状態になるリスクを考えると、ベストではないけれどワーストでもないだろうと考えた結果の選択だった。しかし、実際のところほぼワーストの結果だったと思う。良かったこともあるけれど、トータルで見ると悪かったことのほうが多かった。

良かったことの一つは、信頼できる二人のラボスタッフがいたことだ。微生物関係の実験に関しては、修士時代から在籍していた実験補助の方に教えてもらうことができた。この方のおかげで3年間で修了できたといっても過言ではないと思っている。もう一人の研究員の方からは、教えてもらったというよりはお互い相談しあうような感じではあったけれど、時折私を心配してくれる言葉をかけてくれてありがたかった。この二人には本当に感謝している。

もう一つ良かったことは、共同研究という形で他の研究所と研究員さんとのつながりを持てたことだ。これは出戻りしたから良かったというよりは、運が良かったという話でしかない。この二つがなかったら、はっきり言って純度100%の失敗に感じたと思う。

悪かったことは、端的に言えば教員の能力不足に起因する部分が大きかった。修士からそのまま博士に進学した同期からは、教授が投稿論文を見てくれないという話を聞かされていた。さらに教授が研究費がとれなかったタイミングで在籍していたということもあり、資金面でも大変苦労したらしい*5。資金面の部分はともかく、他の博士の先輩もいらない苦労させられていたので、教授は頼れそうにないというのは入学当時から分かっていたことではあった。そこで、私の当初の計画としては助教を頼って研究をしていくつもりだった。進学前の打ち合わせでも、助教には新しいことをやっていくんだという気概があるように「見えた」。私自身も新しいことをしよう、チャレンジしようと思って博士に進学したわけで、助教のチャレンジしようとする態度は非常に好ましいものだと思っていたのだけれど、問題はこれが「ハリボテ」だったということであった*6。この「ハリボテ」に入学前から気づけていれば、出戻りという選択はなかったと思う。

ただの愚痴にならないように、どうすればよかったのかを考えておきたい。この経験から得られた私なりの教訓として、アカデミアの指導者には「(1)技術(実験に関する手技・知識)、(2)知識(研究領域の文献的知識)、(3)金、(4)ビジョン」の4つが必要であると思うに至った*7

もちろん全部兼ね備えているのが理想ではあるけれど、研究者の職位によって強弱があるのは仕方ないことでもある。助教であれば、技術と知識がマストで必要で、大きなグラントをまだ取れていないことは十分にあり得る。教授であれば最新の技術・知識に多少疎くても、お金とビジョンを持ってラボをマネジメントしていくことのほうが職務として重要になっていくと思う。

そして、注意が必要なのは、助教クラスの人間がビジョンを語っている場合で、自分の技術や知識をベースとせずに「誰かの語ったビジョンを鵜呑みにしてそのまま吐き出しているハリボテである可能性」がある。私はこれに気づけなかった*8。思えば、助教クラスの人間がハリボテかどうかを判断するのは、主著の論文をどれだけ持っているかどうかで簡単に判断できたと思う*9。論文の数は分野依存ではあるけれど、私の分野であれば平均して年1報以上のペースで主著の論文を出していれば、たぶん助教クラスの研究者としては十分と思われる*10。この助教の場合、博士時代で書いた2~3報以外に、まともなジャーナルに投稿した主著がほとんどなかった。ポスドク時代に書いた主著はなく、私が修士として所属していた時も論文は書いていなかった。私が出戻りする直前で書いたと見られる、助教の博士時代のデータを使って書いたMDPIの論文では、これはサラミ論文ではないかという辛辣なレビューを食らっていた。要するに、論文を全然書けない人だった。本人に論文を書く能力が備わっていないので、助教がコレスポになっている論文では結果が明らかに間違っているものもあった。人の能力を事前に判断するのは簡単ではないけれど、研究者の(1)技術と(2)知識を判断する材料としては「主著の論文の数」は嘘をつかないと思う。

(3)金を持っているか、は基本的には実験設備と研究員の人数を見ればすぐわかるだろう。研究員が多ければ人を雇用できる程度の予算を持っているという点で研究者を評価できる。その研究室出身以外の人であればなお良いと思う。また、博士学生にとっては、教員以外の人と相談・議論できる可能性があるということも大きなメリットになると思う。(4)ビジョンについては語れなければ論外だけれど、語っていることが正しいかはわからないので、信じたいものを信じればいいと思う。

話は変わるけれど、私の友人は所属ラボの教授にやられて1年休学していた。人に関する問題の改善は、人員の新陳代謝を促すしかないにもかかわらず、大学にそういう機能が備わっていないので何とかしないと大変なことになると思う(というかなっている)。それから、昨今では女性限定採用枠での教員公募の流れもあるけれど、たぶんこれもあまりいい結果を生まないだろうなと、目の前でそういう人材を見てきて強く思っている。愚痴。

 

【総評】

会社を辞めて博士課程に進学した結果、愚痴を言うようなこともあったけれど、トータルで見れば良かったと思う。悪かった部分は研究の本質ではないところであって、研究の営み自体は楽しく、自分の武器になるものを増やしてくれて、自分の特性の再確認にもつながった。当然、まともに研究のディスカッションのできる人が身近にいればもっと良かっただろうと思う。

 

【今後どうするか】

「研究を続ければよかった」というかつての気持ちに対しては、ある程度「やり切った」という気持ちになっている。もちろん研究に終わりはない。

会社を辞めたときの時点で、修了後の選択肢は「産」も「学」のどちらもあるだろうなと思っていた。現在は所属を変えたうえで学振PD(DC2からの資格変更)として学生の時のテーマを続けているけれど、ウェットの実験をするよりも、もっとデータ解析を深めていけたら面白いのかなと思っている。学生時代は他の人よりも手広くウェットの分析からドライのデータ解析までの膨大な作業をこなしたと思うのだけれど、博士課程だから何とかやり切れただけで、今後も一人でこれをやっていくのは現実的ではない。チームを作ればいいのだろうけど、そこまでして今の研究テーマをそのまま続けていくパッションはやっぱりない。そう考えると、データ自体は誰かが測定してくれたものを解析していくという環境に身を置いていく必要がある。そういう環境は産のほうが強いんじゃないかなと考えていて、そんなわけでぼちぼち就活も始めている。テーマに対する強いこだわりはないのだから、自分の満足を半分くらいは満たしてくれる営みができて、それが誰かの役に立つことになれば、たぶん上等だろう*11

ぼんやりと産と学を反復横跳びできるキャリアにしていくのも面白いかもしれないとも思っていて、その線が残るような手立ては考えていたりもする。

 

【社会人ドクターを考えている人へ】

アドベントカレンダーに登録したおかげ?で、会社を辞めるときの話を書いた文章へのアクセスが多いのでついでに書いておく。

個人的に「産」と「学」の行き来は活発になったほうがいいんじゃなかなと思っているので、気になっているのであればやっていたらいいんじゃないのと思う(無責任だけど)。稼いでる産のほうが偉いみたいな風潮はあるけれど、産でしかできないこともあれば学でしかできないこともあって、どちらが優れているという話でもない。

現所属の研究室にも、社会人ドクターをやっている方がいる。その方は、企業に在籍したまま業務とは直接関係のないテーマでウェットの実験もしているので、相当大変そうではある。有休をつぶしてゼミに参加したり、業務後の時間にデータの解析をしたりしていて、会社からのサポートも特にないらしい。他にも企業に在籍したまま社会人ドクターをやっていた方を知っているけれど、当時は特にサポートもなかったと言っていた。二人とも名の知れた大手企業の所属なのにも関わらずこの状態なので、日本の大手企業はどこもそんな感じなんだろう。もちろん、辞めても棘の道なので、どっちの棘に耐性がありそうか個々人で考えていくしかないのだろうと思う。

 

おわり

(もしコメントいただければ、そのあたり追記するかもです。)

*1:2020年6月 - いぬ小屋

*2:予備審直前で投稿して、minor revisionで返ってきたときはかなりホッとした

*3:実際は、合間にサンプリングや化学分析などのほかの作業もしているので、そこまではかかっていないかもしれない。

*4:誰が、どこで、データを取るかという話はあるが。

*5:過去の研究費で買ったストックの備品と物々交換で、実験に必要な備品などをそろえていたとか。

*6:1年経った時点でこの人とディスカッションしても意味がないと感じはじめ、2年目には完全に研究者としての能力がないことを確信した。

*7:コネとかもあればいいんだろうけど、最悪業績がしっかりあれば、そういうのは後からついてくるんじゃないかなと思っている。細かいことを言えば、マネジメント能力も必要だけれど、キリがないので4つに絞った。

*8:詳細は過去の記録を参照されたい。

*9:相当な力のある教授がいる場合はその限りではない。

*10:もちろん、真っ当なジャーナルに出していることは前提となる。

*11:あと、お給料。

2023年10月

ドタバタと引っ越してきて、一か月。2年前からちょこちょこ顔を出していたラボに移ったので、大体の事情・状況はわかっていたつもりだったけれど、想定よりは大変かもしれない。

今月は移動・異動の手続きとかで研究のほうはあまりはかばかしくなかった。新ラボの分析装置の管理運用、測定の仕方が杜撰なことも発覚し、パートさんと一緒に対応するのに終始してしまったり。そして来月もそうなると思われる。前のラボも似たような状態で、結局分析メソッドを作るのに1か月私独りでうんうんとうなっている時期があった。前のラボがダメだっただけだと思っていたのだけれど、どこの研究室もこんなもんなのかしら。そうあってほしくないけど、そうだとしたら私のラボ目利き力のなさにも問題があるのか…。

来月は、学会の準備とサンプル測定関係を終わらせてしまいたい。なんとか今年度中に次の論文をsubmitできるといいんだけど、その測定結果次第なのでなんとも。とにもかくにも測定を進めるしかない。

学生生活の総括は12月にでも年末にでも書こうかな。

おわり

2023年9月

てんやわんやしながらもなんとか3年で学生生活に終止符を打ち,これで博士を名乗れるようになった.学位を取って思うことは,「足の裏の米粒」*1と言われている通り,取ってひとまず満足したものの,これからの仕事・生活をどうしたものかなという不安がある.もちろんこの満足を求めて学生をやっていたのだから,それはそれでいい.

将来の不安はさておき,この3年の間は「博士」とは何ぞやと思わされることが多々あった.博士号を「資格」と例える人はよくおり,再入学するまでは私もそう考えていた.ただ,取っても食えないわけで「資格」とは少しまた違うものなんだろう.

応用物理の特別寄稿にこんな文章があった.

私は博士号はパスポートのようなものだと思っている.博士号はどの国に(分野に)行って新しい景色を見たかを示す目印,博士論文はさしずめ旅の絵日記だろう.第三者機関による研究能力の証明書や研究の許可書ではない.多くの人のパスポートには物理や化学あるいは公共政策などのスタンプが 1 つだけ押してある.

2つの博士号から見る景色

この文章を読んで,なるほどと思った.正確に言うと,少ししっくり来ていない部分もあるが,「資格」よりは「パスポート」という表現のほうがあっているように思った.

私の研究室はお世辞にもいい環境とは呼べるものではなかった.高校で習うような計算もできず,間違った考察・議論を博士論文に書いた人.後輩が既に提出した(あるいは提出予定の)卒論や修論のデータをつぎはぎして博士論文を書いた人.重箱の隅をつつくようなテーマで博士論文を書いた人*2.まともに学生指導もできずに,5年くらいやっているテーマの成果が論文1報の人.そんな人たちが博士号を取っていく(持っている)のだから,これは「資格」ではなく「パスポート」で,場合によっては「偽造パスポート」ですらある.偽造を見抜けなかった結果,そのパスポートに「(○○学)」というスタンプが押されている.私自身もこの環境を作っていた一因であって,私は何も悪くないというつもりもない.ただ,どうにもならなかった.そして,3年間真剣に研究したつもりだけれど,私の持っている博士号というパスポートが本物なのかは私にもわからない.とりあえずは「(○○学)」のスタンプが押されている.このパスポートをどうやって使うか,どこに行くかが大事なんだろうと思う.

そう思いながらJREC-INを眺めたり,次のテーマをどうするかぼんやり考えたりしている.

 

おわり(3年間の総括は時間がかかりそうなので別に書く予定)

*1:取らないと気持ちが悪いが,取っても食えない.

*2:重要だけど誰もやっていない研究ではなく,ただ誰もやっていない研究をやったということ.