2022年6月

宮城では観測史上初の6月中の梅雨明け。あっという間に夏になってしまい、季節の早さに進捗が追い付いていかない。

6月中はベイジアンネットワークの解析をちびちびをやっていた。そもそも、ベイズ統計自体をきちんと理解していなかったので、初歩の初歩からの勉強。まだ、数学的にはきちんと理解できていないけど、根底にある考え方としては、「不確実性」が標本の中にあると仮定すれば頻度論的統計学の立場になり、母集団の中にあると仮定すればベイズ統計学になるということだと思う。私の研究の場合、気象の問題とか土壌の不均質性の問題から、同一条件のサンプルを取ることのできないので、サンプルに含まれる不確実性を排除して真のモデル(というか、パラメータ)を見つけようとすれば、何も言えることがなくなってしまうことが多い。一方で、ベイズ統計のアプローチのように、不確実性も認めたうえで解析したほうが、暫定的にでも得られたデータを説明がしやすいこともあるんだなあと、自分のデータの解析結果を見ながら思ったりした。どちらのアプローチをとったとしても、追加の実験をして検証しなければならないのは同じことなので、とりあえず次につながる可能性のあるベイズのアプローチはおもしろい。もう少し数理統計学のことをきちんと勉強する時間が欲しい。

来年の今頃の時期は順調に進んでいれば予備審なので、そろそろ就職のことを考えないといけないのかなあと思い始めている。特に何かしているわけではない。今お世話になっている共同研究先に行くのは、一つ目の選択肢としてあって、それ以外をどうしようかなという感じ(人を欲しそうにはしているけど、実際雇ってくれるのかは知らない)。とりあえずは2年くらいポスドクなり研究員をやって、自分の適性と向き合ってみて、終の棲家を決める感じで漠然とは考えている。あとは、研究に対するモチベーションの問題もある。実験は楽しいし、知らないことを知るのも楽しいけど(教科書的なことや誰も知らないこと、どちらも)、真理の探究を求めているかは怪しいところがある。ずっと環境にかかわる研究と仕事をしてきて、修士の頃に比べれば世の中のいろいろなことに自分なりに思うことも多くなってきたし、こういう疑問は死ぬまで消えない気はするけど、どうだろう...。私にとっての「研究がおもしろい」という気持ちは、「クイズやパズルがおもしろい」という気持ちなんじゃないかなという気がしている。そういえば、高校の時から無機・有機化学のパズル感が好きだった。

今、あらためて退職後のお気持ち文を薄目で読み返してみたけれど、私のD進理由は「やり続けなかった後悔」だったと思う。足の裏の米粒が気になってしまっただけで、取った後のことは特に考えていなかった。当時からそのことは確かに認識していたし、取った後のことはその時考えればいいと考えていたので、その点はぶれてはいないと思う。今の気持ちとしては、実践と理論の中間くらいの立場でいたいという気持ちはある。産と学の中間ぐらい。過度に学術的(にみえる)ことをやっていると、自分自身の存在価値がないような不安感にかられることがある。かといって、そういう部分がないと自分自身の成長がない不安感にもかられる。

そういう観点で言えば、企業でデータ解析ができるくらいがちょうどいいのかもしれない。この分野の論文はオープンアクセスで読めることが多いし、分野全体の雰囲気としても比較的その立場でいやすいように思う。いつの間にかデータ解析マンになりつつあるけれど、データエンジニアリングができるのであれば、前職の会社に戻るのもありかなあとは5%くらいは考えている。私が入社して1年後くらいにくらいにデータセンターができて、蓄積したデータの活用を謡っていたのだけれど、残念ながら設計レベルでは浸透してはいなかった。前職での設計標準はあまりにも直観的かつ超安全寄りで、それを設計標準にするのはあまりにもひどいと思った記憶がある。かといって、当時の自分にはそれを解析する知識も技術もなかった。基本的に開発に行くと肩身が狭いので、設計をやりつつ、データいじりができるのなら結構楽しいんじゃないかなと思う。まあ、業務量的に難しいだろうけど。

余計な話が多くなってしまった。7月中に論文1報ドラフトを仕上げて、8月中に去年の試験のサンプルの分析を片付けていきたい。

おわり