2020年6月

6月22日に上司に博士課程進学と退職の話をしました。

5月のGW前くらいに業務で携わっていた案件の大きな山を超えました。その後は、案件が終わったことと、コロナウィルスの影響による在宅勤務がメインになったこともあり、なんだか仕事に集中できずに給料泥棒をしながら過ごして6月中旬になってしまいました。5月末くらいからは「進学の話を早くしないと」と思いつつもなぜか躊躇ってしまい、大学へ願書を出すための準備期間も短くなっていく中、さらに焦りが大きくなっていました。最後は、この中途半端な気持ちでは、また案件を落として周りに迷惑をかけてしまうなという気持ちもあり、なんとか話を切り出すに至りました。

進学と退職の話を切り出した日の帰り道、すっきりするかと思いきや、意外にも「やってしまった」感が遅れてやってきて、また仕事が手につかなくなっています。

なぜ退職して博士課程進学をしようと思ったのか、自分の中で、もう一度整理するためにもここで文章にしておこうと思います。

①なぜ博士進学なのか。
大学では環境分野の研究(環境修復)をしていました。修士の時点で、研究をするということそのものには全く否定的な感情はありませんでした。研究者の卵の卵ぐらいの存在(卵子?)でしたが、実験をして、データを整理して、仮説を立てて、また実験をしていく、その営み自体が楽しかったと記憶しています。ただ、大学の優秀な同期たちが就活している中で、大して能力もない私が博士に進学してアカデミアの道に進む自信がありませんでした。そして、研究内容の延長上にあった環境関連の事業を行っている会社に就職しました。

なぜ博士進学なのかと言われれば、会社に入社して3年半の間、「研究を続ければよかったと思い続けた」という事実があったということ尽きるかもしれません。研究者を志す多くの人が考えるであろう「博士進学後、卒業後、本当に研究をやっていける能力があるのか」、「研究者として社会に貢献できるのか」、こういった不安は大きかったですし、今もその不安を払拭できる材料は持ち合わせていません。それでも、退職して博士課程に進学するという選択肢がなまじ存在するせいで、「研究を続ければよかった」という燻ぶった思いが積みあがっていくだけでした。そして、その燻ぶった火を無視することもできなくなっていました。「夢」や「やりがい」みたいなふわっとした言葉は今でも好きではなのですが、これが意外にも大事なのかもと思います。

一方で、会社で働き続けることには疑問が常にありました。入社式の時点で「違った」という違和感を持っていたような気もします。もっと積極的に就活をしていて、そのことに気づいていれば。そもそも就職していなかったかもしれません。ただ、この3年半の業務の中で経験したものは、無駄ではなかったと思います。研究成果が社会にどのように実装されるのか。設計、開発、運用。人の流れ、お金の流れ、政治・行政・法律との関わり。今までの私に欠けていた視点や考え方を多く得られたと思います。

自分自身の気持ちに加えて、会社の中に自分の目指すべきロールモデルがいなかったのも博士進学を選択した大きな理由になっていると思います。全くいなかったわけではないですが、「仕事でのロールモデル」というよりは「人としてのロールモデル」でした。3年目は業務の立場上、部長クラスの意思決定の会議を見ることができたのですが、この中にもなりたいと思う姿はありませんでした。会社の設計者、研究者、開発者としては、目指すべきものを会社の中では見出すことができず、憧れるのはやはり、大学の研究者でした。

②会社で研究もできるのでは。
当然できます。会社が違ったら、扱う製品が違ったら、それで納得できたこともあったかもしれません。これは会社の事業内容にも影響されることかと思います。

私の会社の扱う製品は非常に大きく、公共事業に関わる製品だったためか、部門間の隔たりが大きく、業務のフローもお役所仕事的でした。また、この部門間の隔たりにも起因するのでしょうが、研究のスピード感もありませんでした。これらが要因が会社で研究したくないと思う理由の大きな部分を占めています。あくまで私見ですが、どこの会社でも似たような状況はあるのかとは思います。

大学にいたころは、同じ研究課の研究室の装置を借りて分析をさせてもらっていたり、学内の技術部に分析依頼をだしたりと、軽いフットワークでいろいろな試験をさせてもらっていました(少なくとも別研究室の装置を借りるのには、裏でボスが根回しをしていてくれていたのだと思いますが)。

一方で、会社で何かを分析するには、いちいち関係課の上長へお伺いを立てたり、外注するにしても、分析検体数を犠牲にしても分析費用をかつかつに切り詰めた上で、調達部を経由してと、スピード感のなさに嫌気がさしていました。

もし会社に居続けること選ぶならば、研究開発ではなく設計がいいと思っています。営業、研究、開発、O&Mなどのほとんどの部署と関わりが持てますし、一番勉強になります。

会社においてはお金を稼ぐことが使命であり、開発に配属された初年度は肩身が狭く、とても窮屈でした(他にも事業の状況の影響もあったのですが)。設計であれば開発のようにお金にならない(かもしれない)仕事をしているという引け目を感じることもなく、がしがしと他部署とやり取りできるので結構気持ちが良いです。

③社会人博士で博士進学という選択肢は?
これは②に共通するかと思いますが、やはり会社の事業内容によるところはあると思います。選択肢としては、(ア)業務の一環として会社のお金と時間を使って博士課程に進学する、(イ)自己研鑽として、自分のお金と時間を使って博士課程に進学するの2通りがあります。  

(ア)の場合は、まず研究開発の部署に戻り(私の場合)、数年間そこで成果を上げた後、社内での審査を経ることで進学できます。残念ながら、会社に在籍しながら博士を取得する制度は整っていなかったため、早くても5~6年はかかると思いますが、「大学で研究を続けていれば」という燻ぶった気持ちに対して、そんな悠長に構えていられませんでした。また、入社3年間で3つの部署異動(開発→設計→設計+営業的な部署)を経験させら(たらい回さ)れた身としては、あまり会社を当てにはできないという感情もありました。(イ)の場合は、仕事も研究も中途半端になるのではという思いがあり、当初から選択肢には入れていませんでした。一応、社内にそういう方が1人いました(業務でほんの少し接点があったのですが、ちょうどD論と業務の案件の山が被っているという悲惨な状況で話を聞くには至りませんでした)。このあたりの選択は人それぞれで、研究にフルコミットできるから最良というものでもないと思っています。スタンスの違い、自分の信じる神様の違いみたいなものが大きいかなと思います。

④まとめ
1.研究を続ければよかったという思いがずっとあった。
2.会社には仕事のロールモデルがいなかった。
3.部門間の隔たりが大きく、スピード感のなさから会社で研究を続けたいと思えなかった。
4.社会人博士として進学するには、時間がかかる、あるいは仕事と研究がどちらとも中途半端になる可能性があった。

こういった理由から、私は退職して博士課程進学に至りました。

脱サラD進をする方は、稀によくいるようで、似たような選択をした方のブログなどの中で、参考になったもののリンクを張っておきます。こういった方々の情報は、あるにはあるのですが、散逸していて情報収集に苦労しました。
研究分野が違うと就職などへの考え方も違ったり、そもそも脱サラD進に対する考え方が違う人もいるので、あくまで私にとって参考になったものです。感覚ですが、ウェブ上で目につく情報では、情報科学系の人のブログが多いような気がします。

就活するか?博士課程に行くか? - yokaのblog

僕が博士進学にあたって会社を辞めた理由 - 日記なんで。

公務員を辞めて博士課程に進学する - 高等ムーミンをめぐる冒険

その他
情報処理学会会誌vol.58、No.5、「博士課程進学のメリット・デメリット」
情報処理学会電子図書館から検索してダウンロードできます。

 

おわり